CHELSEA'S NOTE ~ 英国が好き!

心が求めて止まない国 英国。  美しい英国の街や村をぶらっと散歩している気分になれるような               そんなページを作っていきたいです。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ
ニアソーリー村小鳥

去年の秋 映画館で「ミスポター」という映画を見ました。
ピーターラビットの作者 ビアトリクスポターさんの
生涯が描かれた映画です。

この映画を見て、
彼女の独創性が始めは理解されなかったこと、
それでも好きなことをあきらめなかったこと、
その創作のエネルギーの源に英国の美しい自然への思いと
魅力的な男性との出会いと少女のような恋があったことを
初めて知りました。

今まで歴史上の人物のような感覚でとらえていた彼女を
一度きりの人生を精一杯情熱的に生きた1人の女性として
とても身近な人に感じました。


HILL TOP1
スポンサーサイト
このページのトップへ
HILL TOP2

これはビアトリクスポターさんが暮らした
ヒルトップ農場です。
彼女がここを購入したのは1905年。
ピーターラビットの絵本を世に送り出すことに
惜しみなく心血を注ぎ、彼女を励まし支え続けてくれた
最愛の人が婚約後1ヶ月で急死したのと同じ年です。

彼女はその悲劇をどうやって乗り越えたのでしょう。
どうしても彼を思い出してしまうであろう創作活動を
どうして続けられたのでしょう。

その翌年の1906年にヒルトップ農場に掲げられた
この銘板には どんな思いが込められていたのでしょう。
絵本を書き続けることが彼女にとって
心の中に生きている彼とつながり続けるすべで
あったのでしょうか。


銘板
このページのトップへ
HILL TOP3

ビアトリクス・ポターさんが書いたピーターラビットの絵本が
こんなに世界中で愛されているのは、
ただ絵が上手だから ではなく
母親に反対され続けながらも
それでもどうしても描きたかった絵や自然への情熱や
近くで見守ってくれる大切な人への想いが
作品にこもっていて
それが見る人に温かさや深みという形で
伝わるからではないでしょうか。

ビアトリクス・ポターさんは、絵本で得た収入で
湖水地方の15の農場や広大な土地を
開発者達の手から守るために買い取り
ナショナルトラストという英国の自然を
そのまま保存するという運動のために寄付しました。

彼女の貢献で 今も湖水地方の美しい風景は
当時のまま保たれ
訪れる人に感動を与え続けています。

1人の女性が 一生という限られた時間の中で
自分の好きなことを追い求めていくうちに
こんな大きな流れを作ってしまうなんて。
なんて味わい深いことでしょう。


ニアソーリー村の羊1
このページのトップへ
ミス・ジーキルの本

今年5月に西武ドームでいただいた
第10回国際バラとガーデニングショウの
公式ガイドブックを見てその存在を知って以来 
ずっと気になっていた1人の英国人女性がいました。

その名は ガートルード・ジーキルさん。
英国カントリーサイドで私達の目を楽しませてくれる
「『コテージガーデンスタイル』と呼ばれる
素朴で色彩豊かな庭を確立した英国庭園史上初の
女性造園家」です。

ミス・ジーキルがどんな人でどんな生涯を送ったのか
とてもとても興味が湧き 本も取り寄せたのですが
なかなか読む時間がとれませんでした。

今回東京ギフトショーに出展できたおかげで
大阪~東京を新幹線で何往復もする機会に恵まれ
移動の車中にたっぷり時間がとれたので
じっくりミス・ジーキルの世界に触れることができました。
彼女の生涯もやはり味わい深いドラマチックなものでした。

このページのトップへ
ヨークの公園にて

17~18世紀に重んじられた 幾何学的な整形式庭園や
雄大な自然を取り込む風景式庭園の他に 
英国には田園地帯の田舎家にもともと生育していた多年植物を使った
コテージガーデンという庭が存在しました。

農家の庭であったので 室内を飾る草花もあれば
野菜や果樹も植えられたいわば生活の庭でした。

19世紀末になって 産業革命で豊かになった
都市の富裕層階級の人々が別荘として田舎家を
好むようになり、コテージガーデンに新しい息吹を吹き込みました。

ミス・ジーキルはこうした新しいコテージガーデンの流れの中心で
創作活動をした人物です。


彼女は幼年期をサリー州の豊かな自然の中で過ごし、
幼少の頃から自分だけの庭作りを楽しんでいました。
自然をこよなく愛した彼女の夢は画家になることでした。

生きた時代も絵が好きなところも 不思議なことに
ビアトリクス・ポターさんと同じです。
でも 大きく違うのは ジーキルさんのご両親は
子供の教育に対して 自由な考え方を持っていたことでした。

幸せなことに 彼女はこの時代の女性でありながら
ロンドンの芸術学校で 好きな絵画の教育を受けることができました。
(当時では稀なことだったそうです)

この頃 知人の紹介でジョン・ラスキンと知り合います。
(そう!前回のエントリーのアーツ&クラフツ運動の中心人物です)

彼の芸術運動に深い感銘を受けたミス・ジーキルは
ロンドンの工房にウイリアム・モリスを訪ね、
そこで多くの芸術家や建築家と出会い 影響を受けて成長し
自身もまた 工芸芸術家として多方面で活躍します。

多彩な活動の一つとしてガーデンデザインを始めたのが
彼女が30歳の頃でした。


このページのトップへ
ミス・ジーキルの庭

ミス・ジーキルは父親の死後 再びサリー州に戻りますが、
もともと弱かった視力が徐々に衰えたため
刺繍などの細かい作業はやめてガーデニングの仕事に
本腰を入れるようになりました。

ちょうどこの頃 彼女は2人の運命の人物に出会います。

1人は建築家のラッチェンス。(26歳も年下)
ラッチェンスが建築に目覚めたのは 絵本に描かれた
木や石でできた暖かい雰囲気の「おうち」に感動したことが
きっかけでした。
絵本に描かれた「幸せなおうち」と
人々が生活している田園地帯の建築との間に共通する
暖かいものを自分でも作り上げたいと思ったのだそうです。

そして彼はガーデンデザイナーとしてのミス ジーキルを尊敬し
建築家でありながら ガーデンデザインを第一に考え
どんなこともジーキルの意見を聞きながら
建築と庭園が引き立てあうような作品を作り上げていきました。

もう1人は雑誌「ガーデン」 編集者のウイリアム・ロビンソンという人です。
彼は幾何学的な庭園デザインを憎み 批判し続け
ミス・ジーキルとラッチェンスが作り出すコテージガーデンを
雑誌という媒体で持ち上げ、
「彼らの庭こそ理想の庭である」という世論を作り上げました。

ミス・ジーキルとこの2人が作り出したムーブメントのおかげで
ガーデニングはレディが携わる活動として一般的に認められ、
一つの専門職としてさえ認められるようになりました。

彼女もまた 一生という限られた時間のなかで
胸の内に湧き上がる情熱のままに 好きなことを追い続け
気付けば大きな流れを作り上げてしまったすばらしい先人です。

コテージガーデンin国バラ


このページのトップへ
THE MINACK THEATRE1

英国の西の果てに Land's End という地があります。
いい名前ですね。
そのランズエンドのすぐ近くに
「ミナックシアター」という雄大な屋外劇場があります。
以前「RSVP」第1号でこの劇場の記事を見て以来
どうしても自分の足でこの地に立ってみたいと思っていました。

この入り江から見る海の色は 青というか碧というか
なんともいえずきれいな色で
岩壁のてっぺんから見ると それは息を飲むような美しい景色です。

THE MINACK THEATRE2

これは舞台から観客席を見上げたところです。

この海を臨む雄大な劇場を たった1人で作り上げた
英国人女性がいます。
名前はロウィーナ・ケイドさん。

彼女は 海から拾った流木をかついで斜面を登り
またセメントをねって座席の一つ一つを丁寧に手で作っていったそうです。
その気の遠くなる延々と続く作業を
一生の時間をかけて・・・。

THE MINACK THEATRE3

THE MINACK THEATRE Virtual

このページの画像をクリックすると
美しい劇場の風景を360度のパノラマで
体験することができます。
のぞいてみてくださいね。


~ 4 JUNE 2009 ~

このページのトップへ
THE MINACK THEATRE4

この方がロウィーナ・ケイドさんです。
これはきっと彼女の愛用の一輪車ですね。
この斜面を一体何千回往復したことでしょう。

ミュージアムにあった魂を揺さぶられるこの写真の前から
なかなか離れることができませんでした。
「かっこいい・・・」 心からそう思いました。

西に面したこのシアター。
1日の仕事の終わりに彼女はこの一輪車に腰かけ、
水平線に沈む夕陽を眺めながら
1杯のミルクティーで疲れた体を癒したのでしょうか。

THE MINACK THEATRE5

シアターの一番高いところに海を見渡せるティールームが
ありました。
美しい海を眺め 熱い紅茶をすすりながら
ロウィーナさんの生涯に思いを馳せました。

長い長い年月を ぶれない強い情熱のままに
自分の好きなことを夢中で追い続け
一生という限られた時間の中で
とてつもないことを成し遂げてしまった人。

そのひたむきな生き方に 深い感銘を受け
私もまた心の奥に確かにある熱い炎をしっかり燃やし続けようと
コーンウォールの青い海に誓いました。


~ 4 JUNE 2009 ~


このページのトップへ
上野さんのガーデン1

国バラ会場では 大好きな人に再会できました。
北海道の上野ファームの上野砂由紀さん。
今回のメインガーデンのひとつ「湖水地方のコテージと森のガーデン」を
担当されていました。

上野さんが創り出しているそのオリジナルな世界に
深く心を動かされたのは去年の夏のことでした。
朝日新聞の土曜日の「フロントランナー」に掲載された
特集記事を読んだ時でした。

英国でガーデニングを学んで帰国された上野さんは
北海道でガーデン作りを始められました。
ところが英国とでは文化や背景がちがい
イングリッシュガーデンを表現しきれない。
北海道は独特の風土で本州の気候とも全然ちがう。
たとえば本州では高山にしか生息しない植物が
北海道ではすぐそばに咲いている。

そこで、北海道でしか作れないガーデンを目指そうと
道を定められました。
このところよくその名を目にするようになった
「北海道ガーデン」という言葉の生みの親は
上野さんだそうです。

自分の置かれた環境を前向きに見つめて
いいところを見つけて生かして
自分にしかできない世界を生み出していく。
素晴らしいですね。

この新聞記事に感銘を受けて
何回か読み返していたある日、
突然その上野砂由紀さんご自身から
紅茶の注文のFAXをいただいて
本当にビックリしました。
よくよく調べてみると 2月のギフトショー出展時に
ブースに来てくださっていたのでした。
あの雄大な自然の中の素敵な場所 上野ファームのカフェ
チェルシーガーデンティーの紅茶を置いていただけるなんて
嬉しくって 嬉しくって。
夢のようなことって起こるものなんですね。


上野さんの生き方に感銘を受けて
私も自分だからこそできること ということを
意識して考えるようになりました。
「茶」と「もてなしの文化」が私のフィールド。
日本人である自分にしかできない 紅茶文化の追求を
していきたい と思うようになりました。

上野さんのガーデン2
このページのトップへ
Upton Grey1

ここはロンドンの南西のアプトン グレイという村にあるマナーハウスです。
2008年発行のRSVP第3号に蘇ったガートルード・ジーキルの庭として紹介されていたのを見て いつか訪れてみたいとずっと思い続けていた場所です。

ガートルード・ジーキルさんは19世紀から20世紀にかけての英国を代表する女性ガーデンデザイナーです。
彼女はそれまで主流であった風景式庭園の枠にとらわれず身の回りにある身近な植物を好んで使い その色彩を綿密に配置することによって自然な姿でありながらも極めて美しいガーデンを作るというイングリッシュガーデンの流れを生み出した人です。 

彼女は生涯で200もの庭園を設計したといわれていますが、庭園の主役が美しい色彩を構成する草花であったため その維持管理が難しく 当時のままの姿で現存しているガーデンはほとんどないそうです。

Upton Grey2

現在の持ち主 ウォーリンジャー夫妻はこのマナーハウスの購入にあたってその歴史について調査を進めていくうちに この屋敷の庭をデザインしたのがまさにそのジーキルさんであったという事実に出会いました。
夫妻はこの貴重な庭を復活させることを決意し 庭の設計図を探し出し 長い長い年月をかけて気の遠くなるような作業を続けてみごとにこの庭を蘇らせました。

膨大な手間をかけて手入れされた庭は想像を絶する素晴らしさでした。
屋敷からつるバラのからむ可愛らしいアーチを通って進むと目の前に色とりどりの花が植えられた美しい景色が広がります。
5月の終わりの庭にはピンク色の大輪の芍薬がたくさん咲いていて見事でした。

Upton Grey8

妻のロザムンドさんからいただいたマナーハウスの全貌が描かれたカードです。

このお屋敷の元の持ち主はチャールズ・ホームというアーツ&クラフツ時代を生きた実業家でした。
彼は大の日本美術愛好家でもありました。
1889年にはリバティ夫妻(ロンドンのリバティ百貨店の創業者)と日本を旅行し 京都の並河靖之氏が手がける七宝など日本の優れた美術を西洋に紹介し、その後の欧州でのジャポニズム流行に大きく貢献することになった人物です。

ジーキルさんがデザインしたオリジナルのカラースキームガーデンがどんなものなのかこの目で見たくて この場所にはるばるやってきたのですが、時間をかけてガーデンをめぐるうちになんとなく馴染みのある 何か を感じ出しました。

Upton Grey3

ここは先程のカードの上の部分に描かれている Wild Garden の池です。
私たち日本人にとってはこの庭を見てもあまり違和感を感じなくて気づきにくいのですが、池の縁にある自然のままの岩 これは護岸の景色を模した岩組のようなかんじです。

この時代以前のヨーロッパでは 人間は自然を支配するという立場であったのか 岩はまっすぐに切り出したり 彫刻をほどこしたり加工して使うもので自然のままの岩を庭園に取り入れることはありませんでした。

一方日本では自然の岩をそのままの姿で 庭園の主役として向きやバランスを熟考して据えることによって それを見る人の内面の世界をいかに引き出すかというのが庭師の腕の見せ所でした。 


他にも菖蒲と蓮の風景。
思い立って「iris garden」と英語で画像検索をかけてみると 英語圏の菖蒲の庭の画像がたくさん出てくるのですが、現代でさえもほとんどが普通に花壇に植えられていて こんなふう水際に植えられているものは出てきません。
これって日本庭園の風景なのでは。

そういえば 先程の見たガーデンでメインに植えられていたのは バラではなく芍薬でした!

Upton Grey4

そしてこれはさっきのカードの右下に描かれていた低木の林のような場所です。
なんと植えられていた木はすべて桜!  桜の園だったんです。
庭をめぐるうちに感じた 何か とは そう 日本でした。

もしかすると庭に日本風を取り入れることは日本愛好家の施主の意向だったのかもしれません。
当時日本には英国から招かれて鹿鳴館や岩崎弥之介邸・旧古河庭園などの設計を手掛けたジョサイア・コンドル教授という人がいました。(チャールズ・ホームさんとも親しかった!)
ジーキルさんの著書によると彼女の日本庭園の先生はそのコンドル教授だったそうで、その記述を見ると日本庭園の神髄である思想性の部分にも触れられていて 深い知識と考察をお持ちだったことが伝わってきます。

鎖国が終わり世界との交流が始まった日本と地理的によく似たはるか遠くの英国。

英国を代表するガーデンデザイナーであったジーキルさんの庭に取り入れられた日本の風景。
興味深いことに日本を代表する京都の作庭家 七代目小川治兵衛さんが山縣有朋とともにそれまでの京都の庭園の枠を越え苔ではなく芝を敷いた現代につながる名庭園「無鄰菴」を作庭したのもちょうど同じこの時代です。

2つの伝統ある国が自国の自然を愛し文化に誇りをもちながら 一方でお互いに強い憧れを抱いて惹かれあう時代の息吹を感じさせてくれる ここはまさに文化遺産ともいえる貴重なガーデンなのではないでしょうか。

Upton Grey5

ロザムンド・ウォーリンジャーさんです。
この大事業を始めてから30年。
尽きることのない情熱と信念を持って歴史的 文化的に計り知れない意義のある偉業を成し遂げた彼女に心から喝采を送りたいと思います。

そして いつの日か彼女が日本を訪れる日が来るといいなあ と願っています。
一緒に小川治兵衛さんの庭やジョサイア・コンドル先生の庭を巡ってみたい。



このページのトップへ

FC2Ad

Information

Shiki N
  • Author: Shiki N

Search

Calendar

06月 « 2017年07月 » 08月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

 

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー

最近の記事

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。